Yoshiのミンダナオ日記(その9:戦後80年)

令和7年4月24日
1 タモガンにて
2 スリガオ海峡を臨んで
4a ミンタルでの慰霊祭
5 在留日系人インタビュー
 1945年に終戦を迎えてから今年で80年になります。本当に長い歳月が流れたなあと思います。それと同時に、80年とは、ついこの前のことのようにも感じるのです。
 
ここフィリピンだけを見ても、51万8千人もの日本兵が尊い生命を落とされました。しかも7割以上のご遺骨は日本に戻ることなく、いまだにフィリピンの山野や海に眠っているのです。愛する祖国や家族を思いながら、遠い異国フィリピンで、戦闘・病・飢餓で無念にもお亡くなりになった英霊たちに、改めて心からの哀悼の誠を捧げたいと思います。
 
また、111万人ものフィリピン人が、先の大戦で犠牲になられたことを我々は決して忘れてはなりません。過去に対する痛切な反省と謝罪は日本人としての責任です。日本はフィリピンから見て加害者なのです。戦後、日本は平和国家として生まれ変わりました。多くの日本人とフィリピン人の先人たちが努力されたからこそ、現在の日比友好があるのです。そのことに心から感謝したいと思います。
 
ここダバオには、戦前2万人を超える日本人が住んでいました。アバカ栽培などで一所懸命に働き、地元から尊敬されていたのです。しかし、戦争が日本の民間人たちの運命を変えました。日本軍に協力させられ、日本軍とともに敗走し、多くが虐殺されました。生き残った者たちも日本に強制送還され、ダバオに残されたフィリピン人の奥さんや幼い子どもたちは、日本人であることを隠し、極貧と差別の中、筆舌に尽くしがたい戦後を生き抜いてきました。高齢の日系2世はいまだに無国籍で、日本人として認められたいという希望を持っています。戦後80年経っても、2世たちの戦後は終わっていないのです。残留日系人たちの支援に真剣に取り組まなくて、果たして日本政府と言えるでしょうか。
 
私は日本の若者たちに伝えたいのです。歴史をもっと勉強しましょう。日本の中学・高校の日本史の授業は現代史にほとんどの時間を費やすべきです。なんで心優しい日本人があれほど悲惨な戦争をしてしまったのか?海外の多くの人たちを殺してしまったのか?戦争前のいつか、日華事変か、国際連盟脱退か?満州事変か、海軍軍縮条約か、第一次世界大戦か、日露戦争か・・・その時、違った対応を取っていたら先の大戦は防げたのではないか?引き返すことが出来ない時とはいったいどこだったのか?徹底的に議論して欲しいのです。
鹿児島の知覧に行き、特攻隊で散って行った20歳くらいの若者たちの遺書を読んで欲しいのです。彼らの遺書には敵に対する憎しみは書いてありません。育ててくれた両親への感謝、愛する国と家族のために死んでいく喜びが書いてあります。たかが80年前に、そのような青春があったのだということを我々は知るべきです。
 
戦後80年の今年、歴史を学び、先人を悼み、平和のありがたみをかみしめ、二度と戦争を起こさないためには我々は何をすべきか、これは他人事ではありません、自分のこととして、考えるべきです。過去の教訓から学び、未来への知恵を得る、そんな特別な一年にしようではありませんか。
 
2025年4月24日 石川義久
8 カリナンの移民博物館
9 ミンタル日本人墓地
13 沖縄のダバオ之塔にて
14 日系人大会