Yoshiのミンダナオ日記(その3:ドゥテルテ前大統領)
令和5年2月27日



私がロドリゴ・ロア・ドゥテルテ前大統領に初めてお会いしたのは、30年以上前、日本外務省がダバオの新市長を日本に招待した時でした。当時、私は在フィリピン日本国大使館の若い館員でしたが、ドゥテルテ市長(当時)は「日本では、難しいアポイントメントは要らない。まず、バイクの工場を見学したい。銃の射撃訓練を受けたい。」と言われて、その破天荒さに驚きました。
私がコタバトやダバオに通っていた当時、2006年か2007年頃、“ダバオの日”のお祭りの日、野外ステージの上で市長の隣に座るように言われ、カラフルなパレードを見ながら、市長と長い間お話ししました。私の周りには数名の美しい着飾ったダバウェーニャ(ダバオ出身の女性)がいてお菓子やフルーツを勧めてくれました。市長はふざけて「よく来てくれた。今日はミス・ダバオの美女たちをあなたのために呼んだ。」と言ってくれたことを覚えています。
また、ドゥテルテ市長が、かつてダバオで暮らしていた日本人移民に敬意を表すために、私財を投じてミンタルに慰霊碑を建造してくれたことも忘れることは出来ません。
前大統領に対するダバオ市民の人気が今でも凄いことに驚いています。前大統領が数ヶ月前に総領事館に立ち寄ってくれた時は、どこから聞きつけたか、多くの市民が総領事館の前に殺到し、前大統領が出て来るのを待ち構え、歓声を上げて前大統領と写真を撮っていました。同じダバオ人たちは、前大統領の正直で素朴で気取らない性格を信頼していて、それが庶民の心に響いているのだと思います。
私はダバオに着任してから、前大統領と何度もじっくりとお話しする機会に恵まれました。いつも「自分は日本と日本人を深く尊敬している。」と言ってくれます。安倍晋三元総理の訃報に真っ先に弔意を示してくれたひとりでもありました。
彼は、これが前大統領の家?と思うような質素な家に今でも住んでいます。「昨年大統領を辞めて無給になってしまった。今は年金暮らしで生活は厳しいよ。」と笑いながら話してくれます。「大統領という国家元首を6年間も務めたのだから、いくらでも蓄財出来たはずなのに・・」と思いながら、私は彼の清貧な暮らしぶりとカリスマに深い感銘を受けています。
2023年2月27日 石川義久
私がコタバトやダバオに通っていた当時、2006年か2007年頃、“ダバオの日”のお祭りの日、野外ステージの上で市長の隣に座るように言われ、カラフルなパレードを見ながら、市長と長い間お話ししました。私の周りには数名の美しい着飾ったダバウェーニャ(ダバオ出身の女性)がいてお菓子やフルーツを勧めてくれました。市長はふざけて「よく来てくれた。今日はミス・ダバオの美女たちをあなたのために呼んだ。」と言ってくれたことを覚えています。
また、ドゥテルテ市長が、かつてダバオで暮らしていた日本人移民に敬意を表すために、私財を投じてミンタルに慰霊碑を建造してくれたことも忘れることは出来ません。
前大統領に対するダバオ市民の人気が今でも凄いことに驚いています。前大統領が数ヶ月前に総領事館に立ち寄ってくれた時は、どこから聞きつけたか、多くの市民が総領事館の前に殺到し、前大統領が出て来るのを待ち構え、歓声を上げて前大統領と写真を撮っていました。同じダバオ人たちは、前大統領の正直で素朴で気取らない性格を信頼していて、それが庶民の心に響いているのだと思います。
私はダバオに着任してから、前大統領と何度もじっくりとお話しする機会に恵まれました。いつも「自分は日本と日本人を深く尊敬している。」と言ってくれます。安倍晋三元総理の訃報に真っ先に弔意を示してくれたひとりでもありました。
彼は、これが前大統領の家?と思うような質素な家に今でも住んでいます。「昨年大統領を辞めて無給になってしまった。今は年金暮らしで生活は厳しいよ。」と笑いながら話してくれます。「大統領という国家元首を6年間も務めたのだから、いくらでも蓄財出来たはずなのに・・」と思いながら、私は彼の清貧な暮らしぶりとカリスマに深い感銘を受けています。
2023年2月27日 石川義久